アメリカの禁酒法時代はなぜ始まったのか?歴史や密輸について徹底解説

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今でこそ当たり前に飲まれているお酒ですが、歴史を辿るとお酒が規制されていた時代も存在します。

そこで今回は、アメリカ禁酒法時代について深掘りしていきます。

アメリカの禁酒法によって、お酒業界がどのように衰退、そして発展したのか?その真相を知りたい人は、ぜひ参考にしてみてください。

アメリカの禁酒法とは

禁酒法とは、1920年から1933年までアメリカで施行された法律です。消費目的のアルコールの製造や販売、輸送が禁止となりました。注目すべきは、飲むこと自体は禁止されていないこと。後ほど詳しく紹介します。

日本では関係のない話のようにも感じますが、実は日本でも646年に最初の禁酒令が出され、室町時代や戦国時代にも禁酒令が出された歴史があります。

また2017年には、厚生労働省にアルコール健康障害対策推進室が設置され、飲酒の規制が強くなると不安視されています。タバコの規制も厳しくなり、日本でもこれから飲酒のルールが厳しくなるかもしれません。

アメリカ禁酒法時代の始まり

1920年1月、アメリカの憲法修正第18条が出され、消費目的のアルコール製造や販売、輸送が禁止となります。

当時は第一次世界大戦が終結した直後で、アメリカ経済は成長の真っ只中。お酒の製造や流通も活発で、禁酒法に反対する人も多い状況でした。

しかし、反対派推進派は「高貴な実験」という謳い文句で支持者を獲得。スラム街の撲滅や犯罪の減少などのメリットから、禁酒法が施行されることになったのです。

禁酒法は19世紀から始まっていた?

禁酒法の動きは19世紀から始まっています。

当時、アメリカの禁酒協会や女性団体などがアルコールのリスクを提唱し、禁酒法を推進しようと考えていました。特に女性団体は、家庭内暴力や非行、治安の悪化などは「アルコールが原因」だと強く主張します。

1850年代になると、アメリカの一部の州で禁酒法が施行されますが、反対派が多くすぐに廃止となります。

しかし1869年には禁酒党が発足し、アルコール禁止を訴える人が増加します。その結果、1920年の禁酒法に結びついたのです。

密輸と密造の横行

禁酒法時代に突入すると、密輸と密造が横行し始めます。

禁酒法のルールでは、お酒の製造や販売は禁止でしたが、お酒を飲むことに関しては規制されていませんでした。

そのため、お酒さえ入手すれば飲酒に違法性はありません。その結果、密輸や密造が横行したのです。

それでは、どんな方法で密輸や密売が行われたのでしょうか?

アメリカ禁酒法時代の密輸や密売の手法を紹介します。

秘密の入手ルートが存在した

お酒を飲みたい人は、秘密のルートを活用してお酒を手に入れていました。

・医療用のお酒を医師に処方してもらう
・工業用アルコールにフレーバーを添加して粗悪なジンを製造

このように、グレーゾーンに近い行為でお酒を手に入れていたのです。

特に工業用アルコールを使用したお酒が大流行します。しかし、品質は低く、健康被害を訴える人も少なくありませんでした。

ギャングによる密輸・密造

禁酒法は、ギャングたちにとってチャンスでした。

禁酒法が施行されると、「値段が高くてもお酒を買いたい」という人で溢れます。そのため、密輸したお酒や密造酒を販売し大きな利益を得ようとしたのです。

またアメリカは、カナダのウイスキー、カリブ海のラム酒など、お酒が有名な国に囲まれています。そのため、お酒も手に入りやすい状態で、ギャングたちは莫大な富を得ます。

シカゴでは、シカゴ・アウトフィットと呼ばれるマフィア組織が設立されます。この組織のトップは、アル・カポネという人物で「ゴッド・ファーザー」「アンタッチャブル」など人気映画のモデルにもなりました。

その後、密輸の規模は拡大し続け、トラック運転手や事務員、弁護士などを雇い、企業のような組織に成長していきます。

しかし、ギャングやマフィア同士の勢力争いに発展し、銃撃や殺人が日常茶飯事に。治安を良くするための禁酒法でしたが、逆に悪化させてしまう事態となりました。

移民による密売

禁酒法時代に、密売について忘れてはならないのが他国からの移民です。

その当時イタリアやロシアの移民は、英語が話せないため失業する人が増えていました。

そこで、お酒の密売に手を出す移民が増えたのです。先ほど紹介したアル・カポネの両親もイタリアからの移民だったといわれています。

もぐり酒場の発展

禁酒法時代には、密造酒を提供するもぐり酒場も人気を集めます。

スピークイージーと呼ばれ、ドアの前に立つスタッフに合言葉を伝えると入店できる仕組みです。

もぐり酒場の人気はうなぎ上りで、禁酒法が施行される前の酒場の数は約1万5000軒だったのに対し、禁酒法施行後は3万軒以上にもなったといわれています。

禁酒法時代の方が酒場の数が多く、ジャズバーやパブ、社交場など、さまざまなお店が流行しました。

アメリカのウイスキー市場の衰退とカナディアンウイスキー

禁酒法によって大躍進したのがカナディアンウイスキーです。カナダでも禁酒法は施行されていたものの、アメリカとの国境にあるケベック州では製造が許可されていました。

カナダのハイラム・ウォーカー社とシーグラム社では、デトロイト川を高速船で渡り、ウイスキーの密輸を行っていました。

またアメリカ北部に住む人々は、自動車でカナダまで行きウイスキーを購入していたといいます。

諸説ありますが、禁酒法時代にアメリカで消費されたウイスキーの2/3はカナディアンウイスキーだともいわれるほどです。

その結果、カナディアンウイスキーは大量に消費され、世界5大ウイスキーとして知名度を上げたのです。

禁酒法の撤廃

禁酒法が失敗に終わっているのは明らかでした。

街ではギャングの抗争で治安が悪化し、夜はもぐり酒場が大流行するという始末。

1933年には修正第21条の案が可決され、修正第18条は廃止となり、禁酒法時代は終わりを迎えました。

禁酒法は良い面もあった

混乱の時代となったアメリカの禁酒法ですが、実は良い側面もありました。

カクテルが世界に広まった

禁酒法時代になると、アメリカのバーテンダーは職を失います。

その一方で、粗悪なお酒を美味しく飲む方法を編み出すバーテンダーも現れます。さまざまな割り材を入れてカクテルを作り、誰でも飲めるように工夫したのです。

今では一般的なコーラやジンジャーエールも割り材として活用され、カクテルが大流行します。

この時、発明されたカクテルは世界中のバーテンダーに広まり、カクテルレシピの発展を促すこととなりました。

女性もお酒を飲むようになった

禁酒法が施行される前の酒場は、男性のみが入れる場所でした。

禁酒法に賛成した人の中には「男性だけお酒を飲んで不公平だ」という意見もあり、女性もお酒を飲みたいという願望があったのです。

そのため、禁酒法施行後のもぐり酒場では、お酒を楽しむ女性が増えました。

現在は、女性もお酒を飲む世の中となり、女性バーテンダーやソムリエも当たり前になりましたよね。

まとめ

今回はアメリカ禁酒法時代について詳しく解説してきました。

禁酒法が世の中にどのような影響を与えたのか、理解できたのではないでしょうか。

禁止されることで、逆に増える酒場など正にカリギュラでおもしろいですよね。

人とお酒の関係は非常におもしろいです。この記事から少しでもお酒の歴史について興味を持っていただければ嬉しく思います。

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